愛さなくてもいい。

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例えば、自分を受け入れましょうとか、自分を愛しましょう、っていう常識が、



この世界には平然とあって、そのレールから外れると、



自分を受け入れる方向に、自分を愛する方向に、なだめられるような風潮を感じるんだけど、



私、正直それ、どっちでもいいと思う。







どういうことかって、



自分を受け入れようが受け入れまいが、自分を愛そうが愛さまいが、



どっちでもいいってこと。







だって、そのどちらを選ぶかによって、



見える景色や、できる表現が全く変わってくるから。







哀しみを知らない人に、哀しみは描けないでしょう。







絶望を知らない人に、絶望は踊れないでしょう。







嘆きを知らない人に、嘆きは唄えないでしょう。







また、







喜びを知らない人に、喜びは描けないでしょう。







希望を知らない人に、希望は踊れないでしょう。







愛を知らない人に、愛は唄えないでしょう。









朝と夜に優劣なんてないように、光と闇にも優劣はない。









見たい景色を見ればいいし、描きたいものを描けばいい。







だけど今、自分がどっちを選んでいるのか、ちゃんと「分かっている」ことは大切かもね。







そうじゃないと、自分がそれを選んでいるくせに、その現実に飲み込まれてしまうから。









誰も分かってくれないと怒りに狂い、誰からも愛されないと嘆き悲しみ、



そもそもの原因が、自分にあったということを忘れて、世界に不満ばかりが募るから。









だって結局、



自分を受け入れた分しか、自分を愛した分しか、



受容も愛も受け取れないからね。









だから何にせよ、自分が選んでいるっていう意識は大切だね。











自分を愛するも愛さまいも、どちらでもいいとしたら、



今、自分はどちらを選びたいのか、



そしてその自分を使って、何を表現したいのか、









そういうことなんじゃないかな。