不幸せな投資家

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むかしむかし、六本木のそれはそれは高い塔の上に、


 

ある1人の投資家が住んでいました。







その投資家は、若くしてすべてを持っていました。



一生遊んで暮らせるだけのお金、好きに使える時間、どこにでも行ける自由、



塔の上の素晴らしいお家、美しい女性たち。







欲しいものは、何でも買えます。



したいことは、何でもできます。



でも、幸せではありませんでした。







「すべてを持っているはずなのに、たいして幸せじゃない」



投資家は、目の前にいた女の子にそう呟きました。



女の子は、こんなに何でも持っているのに幸せじゃないなんて、



一体どういうことだろう、と思いました。







そうそう、言い忘れましたが、



この物語の主人公はこの投資家ではなく、女の子です。



この女の子は、いろんな世界を旅する旅人で、この投資家とも旅の途中で出会ったのでした。







ここで話を女の子に移すことにしましょう。



女の子が投資家に出会ったとき、彼女はあることに気が付きました。



それは、この投資家は、話すときに全く目を合わせようとしないということです。



見た目はとても屈強な体つきをしているし、強気なことを言うのに、



視線はいつでもそっぽを向いていて、決して女の子と目を合わせようとしません。



人と目も合わせられなくなるなんて、この人には何があったんだろう、女の子はそう思いました。







聞くところによると、投資家が今のような投資家になる前までは、



ある外国から来た大きな会社で働いていたそうです。



その会社が何をする会社なのか、彼がどんな仕事をしていたのか、



女の子には説明されても、よく分からなかったのですが、



とにかく、その会社は、お金を扱う会社らしく、



彼はそのお金を動かしたり、増やしたりする仕事をしているらしいのでした。



とても大きな額のお金を動かしたり、任されたりするため、



責任や重圧が尋常ではなく、神経をやられて、やめる人も多いと投資家は言います。



「頭がいいだけじゃなくて、頭がいかれてないと、できない仕事だよ」



投資家はそう呟きました。



頭が良くて更にいかれてないと、できない仕事だなんて、



なんだか深い言葉だな、そう女の子は思いました。







投資家はその会社で、一生懸命働きました。



けれど彼は、働けども働けども幸せになりませんでした。



そこの会社の一部の人たちは、30代のうちに一生分を稼いで引退し、



その後は、のんびり投資業などをしたりして、好きに暮らすとのことで、



彼もそれはそれは一生懸命働き、そのような道を辿ることになりました。



30代のうちに引退して、あとは好きに暮らす。



それだけ聞くと、羨ましく思う人もいるのかもしれませんが、



投資家の話ぶりや雰囲気、それからまだ30代だというのに、



50代のようにも見える外見を見ると、その間に何十年分もの命を削られたように感じられ、



女の子には30代で引退するというのは、ある意味とても妥当なことに思えるのでした。





「一生懸命働いて、一生遊べるくらいのお金を稼いだ。



だけど僕は今、幸せじゃない」





そう語る投資家の口調は、淡々としていて何気ないものでしたが、



その軽い口調の裏に、大きな悲しみが漂っているのが、女の子には感じられました。







投資家は、物質的にはとても豊かだけれど、



愛においては、とても貧しい人でした。



そして愛の飢餓というのは、何よりもつらいものなのです。







女の子はいつも使っている、お気に入りのかごバックから時計を取り出すと、時間を確認しました。



投資家と話し始めてから、もう1時間近くも経っています。



「もうこんな時間、わたし、そろそろ行かなきゃ」



そう言うと、女の子は投資家に別れを告げることにしました。



ただ話をしていただけなのに、何故だかとても疲れてしまったのです。







投資家と別れるとすぐに、



暗くてどんよりとした気持ちが、女の子を襲ってきました。







六本木の塔の上のお家も、一生遊んで暮らすに十分すぎるほどのお金も、



成功や社会的なステイタスや、きれいな女性たちも、そして無限の自由と時間も。



ぜんぶぜんぶ持っているのに、幸せじゃないなんて、なんて悲しいんだろう。





彼だってきっと、こんな気持ちになるために、頑張ってきたわけじゃないはずなのに。



一生懸命、人の何倍も働いて、大きな責任や重圧にも耐えて、



寝る間も惜しんでやってきたのに、その結果がこれなんて。



そう考えると女の子は、なんだか、とても悲しくなってくるのでした。







投資家と女の子が会うことは、もう二度とないでしょう。



けれど彼女は、投資家の幸せを願わずにはいられませんでした。







何故なら、投資家と女の子は、性格も人生も全く違いましたが、



ほんの少しだけ、自分を見ているような気持ちがしたからです。







そして、自分がこれが正しいという風に生きて、



幸せとは全く違う方向に進んでしまうという経験は、誰にでも起こりうることですが、



そういう経験は、この女の子にもあったからです。







世の中には、「幸せ」や「利益」を銘打って、人を幸せにしないもの、



もしくは人を不幸せにするものが、たくさんあります。



けれど、物質的にどれだけ「利益」が出ようと、自分を幸せにしないのなら、



それは「利益」ではありません。







「ガラクタ」だと思っていたものが、実は「宝物」だったということが、



また反対に「宝物」だと思っていたものが、実は「ガラクタ」だったということが、



人生においては往々にしてあるように、



本物の「利益」とは、一般的に価値があるものとは限らないのです。







私たちは心の目を使って、それを見極めなければなりません。







女の子はそれまで、投資のことはまるで分かりませんでしたが、



その投資家と話して、投資について1つだけ学んだことがあります。







それは、



”この世で一番不幸な投資は、


自分を幸せにしないものに、自分の人生と時間を注ぎ続けること。”



だということ。









どんなに、投資をする価値のないものに見えたとしても、



私は私を幸せにする投資をしよう。









そう胸に刻むと、女の子は歩き始めました。











彼女の旅は続きます。