エジプト日記2☆「愛は言葉を超えるんだ」

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↑ この写真、なんとなく撮ったんだけど、お気に入り!



今日は、エジプトのルクソールにいた時の話の続き!



てか、この頃は、そんな気配全くなかったんだけど、



今は世界中どこも、ほんの数ヶ月前とは大違いだよね。





世界的に今は、とても不安な時代なのかもしれないけど、



私は今は時代の変わり目で、これから全く新しい時代が始まるんだろうなって思ってる。





こういう時って、心が不安定になりがちなのかもしれないけど、



そんな時は、10分でもいいから、ゆっくり呼吸することだけに集中してみて。



呼吸と心はつながっていて、呼吸が整えば、心も整うから。







とりあえず、私はこれからもいつも通り、



私の体験したことや、心に響いたことを、書いていきたいと思うので、



みんなも今の時期の「おうち時間」、お茶でも飲みながら、ゆっくり読んでください。









第3話  「愛は言葉を超えるんだ」





ナサールと会ってまだ2日目くらいのころ、



彼は、日頃からよく行くという、地元のカフェに連れて行ってくれた。



彼はコーラを、私はミントティーを頼んだ。



エジプトのミントティーは、本物のミントが使われているから好きだ。







最初は2人とも、エジプトのことや、ルクソールことなど、



他愛のない話をしていたけれど、会話は徐々に、その時私の心にあったことに移った。







私はその時、いわゆる言葉の壁というのに悩まされていた。



ルクソールに来る直前まで、アシュリンと一緒にいたのだけれど、



彼と意思の疎通が難しいことが、何度もあったのだ。







まず、彼の英語を聞き取るのが、難しかった。



アメリカ人や他の国の人の英語は、いつも大体聞き取れるけれど、



彼のイギリスのアクセントが強い英語に関しては、いつもの半分も聞き取れなかった。



イギリスの英語が、発音や違う単語も多いことは知っていたけれど、



一緒に生活をする上で、あれほど分かりにくいとは思わなかった。







それから、育ってきた環境の違いがあるのかもしれないけれど、



彼の伝えたいことのニュアンスや、私の伝えたいことのニュアンスが、



思うように伝わらないということが、何度もあった。







そんなこんなで私は、もっと私が英語を話せたら良かったのだろうか、とか、



国や言葉が違えば、根本的に分かり合えないのだろうか、とか、



そんな考えで、頭がいっぱいになっていた。







一連の話をするとナサールは、まるで、くだらないことでも聞いたかのような口調で、



「言葉が愛の壁となるのなら、それはただのお遊びさ」と言った。







「俺には、オーストラリア人の奥さんがいたんだ。



もう20年以上も前に、彼女は旅行でエジプトに来ていて、そこで俺と出会った」



そう言うと、ナサールはポケットからスマートフォンを取り出し、奥さんの写真を見せてくれた。



金髪で笑顔がナサールに少し似た、素敵な女性だった。



「20年以上も彼女と一緒に生きてきた。子供も2人授かった。



俺は彼女のことを、心から愛していたよ…」



写真を眺めながら、奥さんのことを思い出すナサールは、とても切なそうだった。



彼の奥さんは、数年前に交通事故で亡くなったらしい。



病気ならまだしも、突然の事故だなんて、さぞかし辛かったでしょうね、



と私が言うと、ナサールは静かに頷いた。







「とにかく、彼女と出会った当時、俺は英語があまり話せなかった。



だけど、俺は彼女と恋に落ちて、そして素晴らしい結婚をした。



それが真実の愛ならば、言葉は関係ない。



愛は言葉を超えるんだ」









言葉は大切だ。



だけどそれは、一番大切なものではないだろう。







動物と人間が言葉を超えて友達になれるように、



母親が赤ちゃんを言葉を超えて愛するように、



人は言葉を超えて、愛し合うことができる。









愛は言葉じゃない。



愛は言葉以上の「何か」だ。









「言葉が愛の壁となるのなら、それはただのお遊びさ」







国や言葉が違えば、人と分かり合うのは、確かに難しいのかもしれない。



けれど、ナサールの言うように、言葉の壁すら乗り越えられないようなら、



それはそもそも、真実の愛ではないのかもしれない。









本物の愛ではなければないほど、言葉を必要とするのかもしれない。









ナサールの話を聞いて、そんなことを思った。











第4話 「愛は言葉を超えるんだ」 ナサールの甥の場合





「いいか、俺の甥の話をしよう」



じゃあ真実の愛って何なんだろう、と考えていると、ナサールは話し始めた。







「俺の甥はルクソールの有名なホテルで、プールボーイの仕事をしていた。



プールの掃除をしたりするやつだ。



そしたらある日、スイスから若い女性が旅行でやって来た。



そして、その女性は、何日も何日も、プールに通っては、



俺の甥のことを、ずっと見つめていたらしい。



ある日、女性は甥に話しかけたが、俺の甥は英語が話せなかった。



でもその女性は、どうしても甥と話したいとのことだったので、



困った甥は俺を呼び、俺を通訳として使うことにしたんだ。



女性と甥の間に入って話を聞くと、その女性は、甥のことは何も知らないけれど、



気になってしょうがない、好きになってしまった、とのことだった。



俺が甥にそれを伝えると、不思議なことに、甥も何故だかよく分からないけれど、



彼女に対して同じ気持ちを感じている、と言った。俺はそれを彼女にそのまま伝えた」



ナサールは話を続けた。



「それからしばらくして、彼女はスイスに俺の甥を呼び、語学学校に通わせた。



それで俺の甥を、スイスでも働けるようにしたんだ。



甥は英語が上達して、スイスで働きながら、彼女と暮らし始めた。



なあ、わかっただろ。本物の愛なら言葉なんて、どうにでもなるんだよ」







「すごい話だね。2人は今も付き合っているの?」



私はこの映画みたいな素敵な話を聞いて、



2人がまだ付き合っているといいな、という希望を込めながら尋ねた。



「何言ってるんだ!!これはもう10年以上前の話だ!



2人はもうとっくに結婚して、2人の子供にも恵まれているよ!!」



ナサールは何を言っているんだという表情で、ガハハと笑った。















スイスから来た20代の女の子が、



ホテルで出会ったプール掃除のエジプト人男性に一目惚れして、



何の根拠もなしに自分の国まで連れて行き、



自分のお金で彼を語学学校に通わせたあげくに、



スイスで生活できるようにさせるなんて、すごい行動力だ。



というか、よく考えたら、正気の沙汰じゃない。







でも彼女は、彼と言葉が通じないからとか、



彼が全く違う国に住んでいるからとか、



男はこうすべきとか、女はこうすべきとか、



そういう「常識」に耳を貸さず、



自分の思いに、まっすぐに行動しただけなのだろう。







何の根拠もない、だけれど、ものすごく強い、



衝動と直感に従っただけなのだろう。









ナサールと、彼の甥の話は、私に勇気をくれた。









世界には、正気の沙汰じゃない、クレイジーで素敵な話がたくさんある。



私も私の人生を通して、誰かに勇気を与えるような、



そんな話を作っていこう。









そう思った。













とりあえず、今日の日記はこれで終わり。



また続き書くね!



じゃね!!☆彡