エジプト日記4☆旅のかけら
☆
↑ この写真、カルナック神殿で撮ったんだけど、
ネバーエンディングストーリーのアレみたいじゃない?(観た人は多分アレで分かる笑)
てか、あの映画、まじで不朽の名作だよね!
CGの技術がいくら発達しても敵わない、昔の名作ってあるよね。
それで、今回のエジプト日記は、1つのテーマにまとまりきらなかった、
旅での出来事とか、旅のカケラみたいな話を集めたお話。
時系列とか場所とかがバラバラなので、少し分かりにくいかもしれないど、
全部私の心に響いた出来事とか、思い出を書いてる。
ちょっと長いので、時間のあるときに読んでね!
(あとここでの話は、最近じゃなくて、去年の話ね。)
☆登場人物☆
ナサール ・ルクソールで出会って世話になった、おじさん。
アシュリン ・ 私のデート相手。私とは南インドで出会って、エジプトには出張中。
第7話 真実の愛
ナサールと私は、愛について話していた。
きみが体験したものは真実の愛じゃない、と彼が言うので、
じゃあ真実の愛ってなんなの?真実の愛を教えてよ、と私は聞いた。
「真実の愛がなにかって?
そんなものは説明できないけど、真実の愛は、あたたかくて、幸せで、
美しい。真実の愛は美しいんだよ」
真実の愛は、あたたかくて、幸せで、美しくて、
そして、お互いが、お互いの幸せを願うもの。
ナサールが語る真実の愛は、子供でも分かるくらい「簡単」なことだったけれど、
同時に、多くの大人でも未だに分からないくらい「難しい」ことでもあった。
第8話 強さとはなにか
アシュリンと話していると、"Strong"(強い)という言葉が何度も出てくる。
「男は強くなければいけない」とか、
「男は側にいる女子供を守るために、肉体的も強くなければいけない」とか、
「欲しいものは、強いフォーカスで必ず手に入れる」とか、
とにかく、今流行りの女性的な男性とはほど遠い、男性的な発言ばかりする。
それが彼の生まれ持った個性だと思うので、全く悪いとは思わないけれど、
彼は見た目も性格も、男性的な要素がかなり強い感じがする。
私は自分のことを、結構男っぽい性格だと思ってたけれど、
彼と比べたら、全然男っぽくないということが分かった。
(それどころか、控えめで女性らしい、大和撫子なんじゃないかって気すらしてくる。)
「男は強くあるべきだ」なんて思わないし、
そもそも「強さ」ということを、そこまで重要視したことがない。
「欲しいものは、強いフォーカスで必ず手に入れる」
そう言う彼のように、彼が精神的にも身体的にも「強い」ということは分かるし、
それが強がりや、変な劣等感からきているものではないのは分かるけれど、
彼は何故そこまで「強さ」にこだわるのだろう。
彼と話していて、強さとはなんだろう、と思った。
強さとは、弱くないことだろうか。
強さとは、誰にも負けないことだろうか。
強さとは、何かをなし遂げる力のことだろうか。
強さとは、欲しいものを、なんでも手に入れる力のことだろうか。
強さとは、そういう「力」のことを言うのだろうか。
もし、そういうものが強さだとするのなら、
「強さ」とは、本当に「強い」のだろうか。
第9話 才能は贈りもの
英語で才能のことを"Gift"(贈りもの)ということがある。
私はこれを、才能のことをただ「才能」と表すよりも、
ずっと正しく表現している言葉だと思う。
☆
アシュリンを一言で表すのなら、ちょっとやんちゃで、スマートな青年って感じ。
それにプラスして何か言うとしたら、ものすごく社交的で楽観的。
彼はイギリスのアイビーエムで、テクニカルコンサルタントという仕事をしている。
今回のエジプトもそうだけれど、彼は仕事で年中、世界を飛び回っている。
今月はスイスで、来月はデンマーク、その次はエジプトという風に、1つのところにいたためしがない。
あまりにも海外出張が多いので、何故そんなに出張が多いのか聞くと、
彼の持っている何かの技術は、世界でまだ数人しか使える人がいないらしく、
そのため世界中の支店から、声がかかるらしい。
そんな彼は、
僕のおかげじゃない」と言う。
つまり彼は、彼が授かったギフト(才能)がすごいのであって、
彼自身がすごい訳ではない、と言いたいのだろう。
彼が言っていたことの中で、とても印象に残ったことがあった。
それはカイロのショッピングモールにある、
トルコ料理のレストランで、2人で食事をしていた時のこと。
ケバブやピラフ、エスニックな香りのする料理を前に、彼はこう語り始めた。
「仕事は大好きだし、やりがいも感じているよ。
たくさんのいい人間関係も築いたし、いい友達もたくさんできた。
欲しいものは全部、手に入っているし、これからもそうだろう。
人生はとても楽しいし、とても充実している。
だけど、それだけさ…」
それだけとは、どういうことなのか私が聞くと、
彼はもっとなにか、自分にできることがあるはずだ、と言う。
人を助けるような、何かもっと人の役に立つことが。
そして、彼はこう続けた。
「僕の最大の恐れは何か分かる?
それは自分のギフト(才能)を、フルに生かせず死ぬことだ。
ギフトは神からの贈り物で、人を助けるために授かったもの。
人のために使わないといけないんだよ」
誰にだって、ギフト(才能)はある。
そしてその、色も形も使い道も、人それぞれに全く違う、宝物のようなギフトは、
自分のためだけではなく、誰かへのギフトでもある。
そのギフトを必要としている誰かが、この世界のどこかにいるからだ。
だから私たちは、自分だけに与えられた、贈りものの箱を開けて、
その贈りものをまた、誰かへの贈りものとなるように、使わないといけない。
「ギフトは、神からの贈り物で、人を助けるために授かったもの。
人のために使わないといけないんだよ」
食事を終えてレストランを出たあとも、彼の言葉が頭の中でこだましていた。
第10話 さよなら、エジプト
ダハブのバス停で、カイロ行きのバスを待っていると、
隣にいた、おじさんがクッキーの袋を取り出し、食べ始めた。
そして、まるで当たり前かのように、私にクッキーを1枚差し出してきた。しかも無言で。
私は無言でクッキーをくれる人になんて、出会ったことがなかったので、なんなんだろうと思い、
このおじさんはクッキーをきっかけにして、何か世間話でもしたいのかな、と思って、
おじさんにお礼を言ったあとに、なにか1つ質問をした。
するとおじさんは、”I can't speak English."(英語は話せないんだ。)
と申し訳なさそうに言って、そっぽを向いてしまった。
つまり、このおじさんは、私にクッキーをあげたかっただけなのだ。
知り合いだからあげる、でも、
好きだからあげる、でも、
何かのきっかけにしたいからあげる、でもなく、
ただ、あげたいから、あげる。
ただ、クッキーをあげたいから、あげる、という、
このおじさんの、とてもシンプルな行動に、
私はなんだか、クッキー以上の「なにか」をもらったような気がした。
この日はエジプト滞在、最後の日だった。
これから10時間以上かけて、カイロ空港まで行き、そのまま日本へ帰国する。
本当はもう少しエジプトにいる予定だったのだけれど、ちょっとした事情があって、
予定よりも早く帰国しなければいけなくなった。
そのせいか、私はその日、ものすごく切なかった。
また来たかったら来ればいい、そう自分に言い聞かせたけれど、
私は何故だか、エジプトにはしばらく、来れなくなるんじゃないか、という気がした。
バス停から見上げた空は、紫色とピンクの夕焼けに染まっている。
上の方が濃い紫で、そこから地平線に向かって、鮮やかなピンクに染まっていく夕焼けは、
妙に美しくて、胸が苦しくなった。
予定時刻から20分ほど遅れて、カイロ行きのバスがやってきた。
バスに乗り込み席に座り、窓の外を眺めると、
クマのプーさんみたいな体型のおじさんが、私に向かって手を振っていた。
このおじさんは、先ほど私が、バスが予定時刻になっても来ないので、
いつバスは来るのかと質問して、もうすぐ来るから心配するなと言ってくれた、
バスの整備員のおじさんだった。
おじさんは手を振り、そしてとてもコミカルな仕草で、私に投げキッスをした。
遠くから投げられたそれは、きっと私のところまで飛んできたのだろう。
まるで本当にキスされたみたいに、心があたたかくなったから。
私もおじさんに手を振り、そして投げキッスを返した。
バスが発車し、おじさんの姿とダハブの街が、だんだんと遠ざかっていく。
さよなら、おじさん。
さよなら、エジプト。
また、会える日まで。
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