医者が先か、病気が先か。

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時々「鶏が先か、卵が先か」とは少し違うのだけれど、似たようなことを思うことがある。



例えば最近、虫歯の治療のため、歯医者に通っているのだけれど、待合室にいるとよく、



「世界中のすべての人の歯が常に健康で、虫歯なんて無くなったら歯医者はどうなるのだろう?」というようなことを思う。



もちろん虫歯以外にも、歯医者のする仕事は色々とあるのだろうけれど、



そういう細かいことの話ではなくて、私が言いたいのは、



すべての「病気」がなくなったら、それを「治す人」は存在できなくなるのではないか、ということで、



そう考えると、「治す人」ももちろん素晴らしい貢献なのだけれど、



「病人」も素晴らしい貢献なのではないか、という気持ちになる。







他の例で言うと例えば、指導者のような存在は、いつの時代にもいて、



(時にそれは何千年も語り継がれる。)



それは一見人々を導き、多くの人々に貢献しているように思えるし、



一つの側面から見れば、それは紛れもない事実なのだけれど、



もしそもそも、指導する相手、導く相手というのが全くいなければ、



その指導者のような存在は、人々を導くという「役割」を全うすることができない訳で。





つまり「導かれる人」というのは「導く人」に、



「導く人」という「役割」を与えることに貢献していることになる。







そんなことを虫歯の治療中に、大きな口を開けながら考えていると、



「今、どっちがどっちに貢献しているのだろう」という気分になって、



とても混沌とした気持ちになり、収集がつかなくなるので、



まあとりあえず、みんなこの世界という「劇場」の中で、



人それぞれの「役」をこなしているんだろう、ということにして、いつもこの考えを終わりにする。









これに加えて何か言うとしたら、



一人一人がこの世界という「劇場」で「自分」の「役」を演じ切ること、



つまり「自分自身を生き切る」ことが大切なのだと思う。









とりあえず、私は今からまた歯医者に行って虫歯の治療をするため、



治療台というステージの上で、歯科用の照明というスポットライトを浴びながら、



「不安を感じつつも治療に専念する女の子」という「役」に徹したいと思う。